ことでんは、4両のレトロ電車を動態保存し、毎月1回営業運転を実施しています。ただし、老朽化による安全確保の困難、膨大な維持コストのため、残念ながら順次2021年5月までに引退することが決定しています。国内最古の営業列車として運行する車両に、ぜひとも乗車しましょう!





30形(元大阪鉄道→近鉄)
 30形は、1925年川崎造船所製で、近畿日本鉄道南大阪線の前身である大阪鉄道が新造した車両です。1961年に譲受し、翌1962年に使用開始されました。琴平線で使用を開始した後、1975年から83年にかけて志度線と琴平線の転属を繰り返しました。その後、1994年より志度線専属となり、主にラッシュ時の増結運用に充当されました。
 2006年9月に長尾線所属の600形が800番台に改造の上増結用として志度線に転属したことで引退するかと思われましたが、23のみは志度線全車冷房化後も動態保存予定車となることが決定し、現在に至るまで動態保存が続けられてきました。
 23は、2020年5月のイベント後の引退・廃車が発表されました。だだし、2020年5月現在、新型コロナウイルスの影響で、レトロ電車の営業運転、イベント運転ともに実施されておらず、引退時期も未定となっていましたが、2020年のシルバーウィークイベント後の引退・廃車が発表されています。



20形23号 仏生山にて



20形23号 仏生山にて





5000形(自社発注車)
 5000形電車は 1928年加藤車輛で製造され、片運転台の制御客車として500・510・520の3両が製造されました。
 1953年に国鉄から譲渡された制御車の2000形と6000形の入線による琴平線の電動車不足のために、5000形は両運転台の制御電動客車に改造されました。台車は営団地下鉄(現東京メトロ)から譲り受けたものを使用し、パンタグラフは高松寄りに取りつけられました。このとき 尾灯は両端の窓上に1灯ずつとなりました。
  5000形は、主に琴平線で増結用として使用され、1976年に510は長尾線に転属。残る2両は琴平線と長尾線の転属を繰り返しましたが、1985年に1070形の導入により520は廃車となり、後に500は長尾線の専属となりました。510は1998年に 700形の導入で廃車となりました。
  500は、営業用車両では最後まで旧標準色であるピンク+アイボリーの塗色で残っていましたが、2007年2月のイベント後に茶色+アイボリーの旧形車色に変更されました。検査出場後はイベント用として動態保存されており、高松築港寄りの前面に着脱可能なヘッドマーク取り付け用のステーが装着されています。
 500は、2020年のシルバーウィークイベント後の引退・廃車が発表されています。



5000形500号 琴電琴平にて



5000形500号



5000形500号



5000形500号 仏生山にて





1000形(自社発注車)
 1000形は、1926年に汽車会社で製造。両運転台の制御電動客車で、琴平電鉄開業にあたり、100・110・120・130・140の5両が製造されました。15m級の半鋼製車で前面は丸妻の貫通式となっています。ノーヘッダ、段なしウィンドウシルで、窓の上隅が大きな曲線になっていること、前面裾も隅が曲線になっている点、電装品にドイツのAEG製のものを使用していることが大きな特徴となっています。その後、 1966~1967年に実施された大規模な更新工事により、客用窓のアルミサッシ化、戸袋窓は全てHゴム支持の矩形に改められ、前面の尾灯は移設の上2灯に増設されました。また、床下のトラス棒は撤去され、屋上の水雷型ベンチレータは小さな筒型のものになり、パンタグラフは琴平寄りに変更されました。
 その後、琴平線に1020形などの18m級大型車が増備されたことで、1972年に100・120・140が、1976年には110・130がそれぞれ志度線に転属し、1976年以降は長尾線でも使用されていましたが、1976年8月の列車同士の正面衝突事故を起こしたことで、110と140が廃車となっています。なお、1988年に鉄道友の会よりエバーグリーン賞を受賞しました。
 残る3両は、前面貫通扉および客用扉の変更、前照灯のシールドビーム化などが実施され、1994年の志度線分断以降は、全車長尾線の所属に。その後、600形・700形の導入で、1998年に130が、1999年に100が廃車され、残った120は主に朝ラッシュ時の増結用となりました。
 そして、120は2007年7月末に行われた長尾線の車両大型化・全面冷房化以降は動態保存車となりました。なお、 2021年のゴールデンウイークのイベント後に引退、 廃車となる模様です。


1000形120号 挿頭丘にて



1000形120号  仏生山にて



1000形120号他  仏生山にて



1000形120号他  滝宮にて



1000形120号他  一宮にて



1000形120号他  仏生山にて





3000形(自社発注車)
 30000形は、1926年に日本車輛で製造された両運転台の制御電動客車で、琴平電鉄の開業に際し300・315・325・335・345の5両が製造されました。
 1961年には志度線に転属しました。1966年~1967年には更新工事を受けましたが、この時に315のみ乗務員室の拡張が行われ、窓配置が左右点対称に変更されました。1976年以降は長尾線でも共用されるようになり、前面貫通扉および客用扉の変更が実施されました。1983年には、琴平線から転属した17m級制御車の牽引のため主電動機の増強と台車の振替えが335と345に対して実施されました。
 1994年の志度線分断以降は、300・315・325が長尾線所属、335・345は志度線所属となりました。 その後、600形・700形の増備により、1999年10月に345が、2006年10月には325が、2007年8月に315がそれぞれ廃車解体されました。 335は2006年12月に営業運転を終了し、以降は道の駅源平の里むれに静態保存されています。
 残った300は、2003年に両端の戸袋窓を製造当初の丸窓に復元し、長尾線の車両大型化・全面冷房化以降もイベント用として動態保存されています。2021年のゴールデンウイークのイベント後に引退、作業車・撮影用として保存される模様です。



3000形300号



3000形300号 一宮にて



3000形300号



3000形300号 仏生山にて



3000形300号 仏生山にて



3000形300号他 滝宮にて



3000形300号他 一宮にて



3000形300号他 仏生山にて






















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