国鉄からJRに転換された直後に瀬戸大橋が開業し、この頃の四国の鉄道は、組織が変わった以上に鉄道網が変化したことを、肌で感じ取ることができました。そんな激動の時代の前後に撮りためたフィルムの中から一部を抜き出し、四国の鉄道情景点描として紹介致します。




普通 キハ58系 高徳線 勝瑞ー吉成 1993年撮影

当時は、キハ58系気動車が急行仕業から撤退し、キハ20系を駆逐するべく普通列車で広く運用されていたので、四国島内各地で見られた。現在は、このキハ58系も全て新型気動車に置き換えられた。




普通 111系 予讃線 海岸寺ー詫間 1993年撮影

民営化時に、余剰となっていた静岡地区の111系を譲り受け、高松口の通勤時間帯の輸送力列車として活躍した。シートピッチが非常に狭かったのを思い出す。6000系及びJR東日本から中古購入した113系改造車にすべて置き換えられたが、その113系も既に全廃された。




特急「いしづち」 キハ181系 予讃線 海岸寺ー詫間 1993年撮影

8000系への置換えを目前に最後の力走を見せるキハ181系。




特急「いしづち」 キハ181系 予讃線 三津浜ー松山 1992年撮影

8000系への置換えを目前に最後の力走を見せるキハ181系。簡便な増結方法として、珍しい先頭車の前に先頭車を増結する方法もよく見られた。




特急「宇和海」 キハ185系 予讃線 松山 1992年撮影

当時の主力特急車種キハ185系。岡山方面運用の間合い使用なのか「宇和海」にしては異常に長い編成だ。




特急「いしづち」 キハ181系 予讃線 伊予大洲 1992年撮影

発電機エンジンを唸らせながら、伊予大洲駅に進入するキハ181系。




JR四国バス 日吉駅 1992年撮影

当時のJR四国は、まだまだ多くの過疎バス路線を抱えていた。写真に写っているモノコックボディがなつかしい。現在、JR四国のバス部門は子会社化され、路線バスは極限まで削減された。事業の中心は高速路線バスとなっている。写真の日吉駅は、現在自治体運営のバス駅として再活用されている。



















なつかしの四国鉄道情景 (1990年代初頭)