国鉄 鍛冶屋原線
国鉄 鍛冶屋原線は、かつて徳島県板野郡板野町の板野駅から同県板野郡上板町の鍛冶屋原駅までを結んでいた国鉄の路線です。利用者の減少により1972年(昭和47年)1月16日に廃止されました。

鍛冶屋原線は、1923年(大正12年)に阿波電気軌道(後に阿波鉄道に改称)の手で池谷 - 阿波大寺(後の板西、現・板野) - 鍛冶屋原間が開業しましたが、1935年(昭和10年)の高徳本線(現・高徳線)全通と同時に板西 - 鍛冶屋原間が鍛冶屋原線として分離され盲腸線となりました。戦争中は不要不急線に指定されて1943年(昭和18年)11月より営業休止となったため、国鉄は代替に国鉄バスを運行しました。戦後は、1947年(昭和22年)に鉄道営業を再開しましたが、徳島バスの路線と競合する関係となりました。また、鉄道の再開後も国鉄バス路線は引き続き営業しました。国鉄は1961年(昭和36年)ごろに板野・鍛冶屋原間の国鉄バスの運行を休止し、鉄道に一本化することで効率化を図りましが、状況は改善されず、1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正で列車の本数を3往復削減(改正後は1日13往復)し、その後も削減が続きました。国鉄は、1971年(昭和46年)8月までに鍛冶屋原線を廃線にして、線路敷を道路へ転換するよう沿線市町村に働きかけましたが、上板町長が鍛冶屋原線廃止反対期成同盟を結成して抵抗し、廃止時期は同年11月へ延期された後にさらに延期が行われ、最終的に1972年(昭和47年)1月に廃止されました。廃線跡の大半は県道鳴門池田線に転用されています。

前述の通り、廃止以前より徳島バスが並行して運行されており、そのまま代替交通となりました。国鉄自身も廃止後に代替として国鉄バス阿波線の同区間の運行を再開したものの、1973年(昭和48年)当時の運行本数は1日3往復でした。国鉄の民営化後もJR四国バスに引き継がれましたが、1996年(平成8年)に廃止となりました。現在も徳島バスがほぼ同じルートの路線を運行しています。

路線データ​
事業運営:阿波電気軌道→阿波鉄道→鉄道省→運輸通信省→運輸省→日本国有鉄道
区間(営業キロ):板野 - 鍛冶屋原 6.9km
駅数:5駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)



写真に写る阿波銀行付近に鍛冶屋原線の終着駅 鍛冶屋原駅があった。



阿波銀行の横の一角に鍛冶屋原駅跡の記念碑がある。



国鉄鍛冶屋原駅跡と記されている。



記念碑の背後には大きなトラック車庫が広がる。ここは鍛冶屋原駅構内跡で、かつては
JR四国バスの鍛冶屋原営業所だった。燃料供給スタンドなどJR四国バス時代からそのま
ま今も使用されている模様。



敷地内にある事務所は、徳島特急輸送の事務所であるが、元々JR四国バス鍛冶屋原
営業所の建屋であった。





アクセス:徳島バス鍛冶屋原線 鍛冶屋原下車すぐ