ガイドブックに掲載されないような四国の秘蔵マニアックなスポットを紹介します。四国の産業が分かるスポット、歴史的産業遺産、歴史的土木遺産などが中心です。公共交通機関でのアプローチをできるだけ記しますが、秘蔵ポイントだけに公共交通機関でのアプローチが困難なポイントもあります。その場合は、最寄り駅からタクシーやレンタカーの利用を計画下さい。
香川県
多度津港旧外港東防波堤
釣り人が釣り糸を垂れるのんびりとした堤防。
海を隔てた先に造船所のクレーンが立ち並んでいる景色は壮観です。
堤防の先にある灯台
灯台から陸側を見る。見事な花崗岩堤防である。
多度津港旧外港東防波堤は経済産業省の近代化産業遺産、土木学会選奨土木遺産に登録されている。
「旧外港東防波堤」は、明治44年(1911年)に多度津港の拡張工事のために造られました。100年以上前に設置された花崗岩の防波堤が今も200mほど続き、その先端には小さな白い灯台が設置されています。香川県内有数の港であった多度津港は、この拡張工事によりその存在感を増しましたが、その後、高松港や他港の発展、鉄道輸送の拡大等により徐々にその重要性は小さくなってしまったそうです。
アクセス
JR四国多度津駅 徒歩20分
高灯篭
琴平にある高灯篭は、1860年に完成した高さ27メートルの日本一高い灯籠で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。瀬戸内海を航海する船の指標として建てられ、船人がこんぴらさんを拝む目標灯となっていました。塔から放つ灯は、丸亀沖の船に届くように設計されたといわれています。高い石の基壇の上に木製の灯台が築かれ内部は三階建てです。壁には江戸時代の人々の落書きが今も残されています。
アクセス
琴電琴平駅の隣 徒歩30秒
愛媛県
日本最大の造船会社 今治造船 本社・今治工場
本社・今治工場。今治造船の始祖の工場である。
ただし、現在の主力は丸亀事業本部・西条工場である。
今治造船は、愛媛県今治市を中心にグループで10の造船所を保有している新造船竣工量において国内トップの造船会社です。以下の通り四国を中心にたくさんの工場・ドックを擁しています。
本社・今治工場 - 愛媛県今治市小浦町一丁目4番52号
第1号船台: L 166m × B 28m
第2号船渠: L 211m × B 43m
丸亀事業本部 - 香川県丸亀市昭和町30番地
第1号船渠: L 270m × B 45m
第2号船渠: L 370m × B 57m
第3号船渠: L 610m × B 80m
蓬莱事業部 - 香川県丸亀市蓬莱町12-1
多度津事業部 - 香川県仲多度郡多度津町西港町1-1
西条工場 - 愛媛県西条市ひうち7番6号 L 420m × B 89m
東ひうち事業部 - 愛媛県西条市ひうち東ひうち29番
広島工場 - 広島県三原市幸崎能地2-1-1
第1号造船船渠 : L 378.0m × B 59.0m
第2号造船船渠 : L 382.0m × B 56.0m
しまなみ海道の自転車道より写真の通り今治造船今治工場が俯瞰できます。尚、2年に1回開催される日本最大の海事産業展バリシップ開催時には今治造船今治工場の一般公開もあるようですので要チェックです。
アクセス
JR四国予讃線波止浜駅から徒歩30分またはタクシー10分。
JR四国予讃線今治駅から瀬戸内運輸(バス)で約20分。展望台入口下車後徒歩10分。
三津の渡し
港を横切る僅か3分程の船旅
乗客一人でも運んでくれる。自転車も乗船可能である。
三津の渡しとは、三津浜の西性寺前と港山地区との間の約80mを全長約9メートル・定員約10名の小型動力船で結んでいる渡し船です。運航時間は7時から19時で無休です。運航区間は市道であるため運賃は無料。通勤・通学などの市民の足として利用されています。ちなみに船長は委託の市職員です。
三津の渡しのはじまりは、港山地区側にある港山城の築城の頃にまで遡ると言われます。1467年当時河野氏分家である河野予州家の河野通春が港山城に拠り、物資輸送と城兵が三津浜側にあった須崎の浜に毎朝食料を買い求めるために利用したのがはじまりと言われています。その後、豊臣秀吉の四国征伐により港山城が廃城となったあとも三津浜には松山藩の水軍が置かれ、須崎の魚市場の賑わいと共に、渡しも「須崎の渡し」「三津の渡し」「古深里(こぶかり)の渡し」「港山の渡し」などと呼ばれ、地元民の足として利用され続けています。
500年以上も続く渡し船とはすごいの一言です。
アクセス
伊予鉄道 高浜線 港山駅徒歩3分または三津駅徒歩10分
日本最古の道路開閉橋 長浜大橋
長浜大橋は、橋の下に船を通すため、中央部の18メートルの区間を跳ね上げて開閉することができるバスキュール式(跳ね上げ式)可動橋で、日本で現存する道路開閉橋としては最古です。毎週日曜日の13時に点検を兼ねて開閉されるほか、夏季(7月 - 9月)の夜間(19時 - 21時)にはイルミネーションが点灯されます。1977年(昭和52年)、河口寄りに国道378号のコンクリート造の橋梁(新長浜大橋、長さ333m、幅10m)が架かり、幹線道路としての役割はそちらに譲りましたが、現在でも生活道路として地元の車両や通学の児童生徒に利用されています。橋のたもとの橋名板は建設当時のものであり、「長濱大橋」と旧字体で表示されています。1998年には国の登録有形文化財に登録され、のち国の重要文化財に指定されました。
構造形式 - バスキュール式可動橋
橋長 - 226m
幅員 - 5.5m
開閉部の長さ - 226m
開閉部分の重量 - 82t
着工 - 1932年(昭和8年)10月
竣工 - 1935年(昭和10年)8月
設計・施工 - 増田淳、細野組(大阪)、安藤鐵工所、大阪鐵工所(現日立造船)
総工費 - 29万円
道路 - 県道
アクセス
JR四国予讃線伊予長浜駅より徒歩10分。
四国電力 伊方原子力発電所
伊方原子力発電所(伊方原発)は、四国最西部、佐田岬半島付け根付近の北側斜面に位置し、瀬戸内海(伊予灘)に面しています。四国電力および四国地方唯一の原子力発電所で、国内の原発で唯一内海に面しています。
伊方原発の1号機(初号機)は1972年11月に原子炉設置許可を受けて1977年9月に運転を開始しました。2017年で運転開始40年目を迎えることになりましたが、四国電力は2016年3月に、1号機の廃炉決定を発表しました。四国電力では、1号機の新規制基準適合のための対策や、安全対策を図るための工事に必要な技術や費用などを検討していましたが、運転期間延長の認可申請を見送り、2016年5月10日をもって廃止しました。また、2号機も電気需要の低迷などで、2018年5月23日に廃止しました。
伊方原子力発電所近傍のメロディーライン(国道197号線)沿いに伊方ビジターズハウスが有り、原子力発電について学べると共に、発電所の遠景が望めます。
原子炉概要
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出力 |
運転開始 |
運転終了 |
施工・型式 |
現況 |
1号機 |
加圧水型軽水炉 |
56.6万kW |
1977.9.30 |
2016.5.10 |
三菱・2ループ |
廃炉作業中 |
2号機 |
加圧水型軽水炉 |
56.6万kW |
1982.3.19 |
2018.5.23 |
三菱・2ループ |
廃炉作業中 |
3号機 |
加圧水型軽水炉 |
89.0万kW |
1994.12.15 |
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WH、三菱・3ループ |
稼働中 |
アクセス
JR四国予讃線八幡浜駅よりタクシー又はレンタカーで30分。
伊方ビジターズハウスより発電所遠景が見られる。
佐田岬砲台跡
佐田岬砲台は、愛媛県西宇和郡伊方町正野にあった大日本帝国陸軍の砲台です。佐田岬半島先端部に位置し、豊予要塞を構成する砲台として、豊予海峡の防備のため1924年より整備されました。1945年の終戦により廃止され、戦後長く放置されていましたが、2017年になり一部が観光用に整備されました。
佐田岬砲台は、第一次世界大戦後の1921年(大正10年)から建設が始まり、第1砲台と第2砲台がまず作られましたが、昭和19年にいったん廃止されました。しかし、昭和20年太平洋戦争末期に本土決戦に備えて再整備され、穹窖砲台(第3・第4砲台)が新設されました。現在使用されている灯台への通路も、かつては砲弾などを運搬する要塞の連絡通路であり、レールの上を電動車が走っていました。いずれの砲台も実戦に使用する機会は無く終戦を迎えましたが、米軍による戦闘機や飛行艇からの機銃掃射攻撃や小型爆弾による散発的な攻撃は何度か受けています。
駐車場から佐田岬灯台に向って歩いていく途中で最初に見えるのが、佐田岬砲台の司令部、
病舎、官舎の遺構。周囲には水道施設の遺構も残っている。
そして、次に容易に目に入る遺構が探照灯(サーチライト)格納庫跡。探照灯は直径
1.5mだったが、格納庫高さは4m程ある。
探照灯格納庫跡のすぐ近くにある機材格納庫。
佐田岬灯台
佐田岬灯台直下の登り口
四国最西端!
佐田岬灯台から豊予海峡を見る。対岸は九州。
対岸九州にある佐賀関の工場の煙突が見える。
佐田岬灯台から御籠島を見る。佐田岬灯台と御籠島は写真の通り繋がっている。
写真右下隅に見えるのが、灯台直下に設置された第3砲台。
御籠島から見た第3砲台。2門あることが分かる。こちらは非公開。
御籠島から見た佐田岬灯台。
御籠島にある第4砲台。
2017年に第4砲台への地下壕が整備され、一般見学が可能となった。
当時はもちろん素掘りであったが、現在はこのように補強された。
御籠島南側岸壁の第4砲台には三八式十二糎榴弾砲2門の掘込み砲台が設置された。
弾薬庫も洞穴に作られた。これら穹窖砲台の榴弾砲は。豊後水道を挟んだ対岸の大分県の
鶴見崎砲台から移されたものであるが、砲身長が1.44mしかなく射程も5.68kmと短い明治
時代の旧式砲であった。写真の榴弾砲は精巧なレプリカ。
戦時の遺構を見て歴史を直視し、改めて平和の大切さを認識したい。
アクセス
JR四国八幡浜駅から伊予鉄南予バスで1時間20分で三崎(1日3本)。
三崎からタクシーで佐田岬灯台遊歩道入口まで約20分。遊歩道入口から佐田岬灯台まで徒歩約20分。
高知県
四国の水瓶「早明浦ダム」
早明浦ダム(さめうらダム)は、高知県長岡郡本山町と土佐郡土佐町にまたがる、一級河川・吉野川本流上流部に1975年に建設されたダムです。独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムで、型式は重力式コンクリートダム、高さは106.0メートルで、総貯水容量は3億1600万立方メートル、有効貯水容量は2億8,900万立方メートル、利水容量は1億7300万立方メートル、吉野川水系における水資源施設の中核をなす四国最大のダムです。(全国では第9位)
吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設され、このダムの水運用は四国地方の経済・市民生活に極めて多大な影響を及ぼしています。このため「四国の水瓶」と呼ばれています。ダムによって形成される人造湖はさめうら湖と呼ばれ、2005年(平成17年)には「ダム湖百選」に選ばれています。
早明浦ダムには洪水調節、不特定利水、上水道、工業用水、灌漑および水力発電の目的があります。
治水
吉野川下流沿岸部の洪水調節を目的とし、阿波市岩津地点における計画高水流量(過去最大の洪水流量を基準とする)毎秒17,000トンを毎秒15,000トン(毎秒2,000トンのカット)に低減します。ダム地点でも毎秒2,000トンをカットし計画高水流量毎秒4,700トンの内毎秒2,700トンの洪水を貯留します。多目的ダムの中では大容量です。
不特定利水については、三好市池田地点を基準とし通年で毎秒15トン、農繁期には毎秒43トンを放流し慣行水利権分の農業用水を吉野川沿岸の農地に供給します。
利水
利水目的では吉野川北岸用水・香川用水・愛媛分水・高知分水を利用し四国四県へ供給します。灌漑用水は高知県を除く三県に対し平均で通年毎秒3トン、農繁期に毎秒11.96トンを供給。上水道・工業用水道は四国四県にそれぞれ一日量で440,000トン、1,420,000トンを供給します。
1.徳島県への利水配分率は48%。吉野川北岸用水の水源、慣行水利権分の不特定利水補給
2.香川県への利水配分率は29%。池田ダムより取水した吉野川の水を香川県に送水しています。
3.愛媛県への利水配分率は19%。
4.高知県への利水配分率は4%。四国山地を縦断し、高知市の上水道に供給されます。
早明浦ダムによる各新規用水の総合開発量は年間8億6,300万トンです。香川県には大きな河川が無く、同県の水利用は、水道使用量の50%を占める香川用水へ依存している所が大きいです。香川用水は、この早明浦ダムを中心として開発された新規用水で、香川県の水利用において早明浦ダムの果たしている役割は非常に大きいと言えます。
水力発電
早明浦発電所
電源開発による早明浦発電所があり、認可出力42,000キロワットです。発電された電力は奈半利川に建設された魚梁瀬ダムなどの発電所群と同じく高知県香美市にある四国電力の新改開閉所を経由して愛媛県西条市の伊予変電所に送られ、電力は四国電力に供給されます。
アクセス
JR四国土讃線大杉駅からタクシーで約30分
仁淀川最長の沈下橋 名越屋沈下橋
名越屋沈下橋は仁淀川の本流にかかる6本の内、最も下流にある日高村といの町を結ぶ沈下橋で、高知市内から最も近い沈下橋でもあります。現在も住民の生活道として利用されており、カヌーなどが通過するのを見ることができます。土佐和紙工芸村くらうどから車で約3分で見ることができ、自転車や散策がてらその姿を見ることができます。また、橋の上流からは両対岸から撮影することもできるので、写真スポットとしても有名です。
所在地:高知県吾川郡いの町勝賀瀬
アクセス
JR四国土讃線伊野駅よりとさでん交通バスで15分、西の谷第二下車
徳島県
工事中
ガイドブックには載らないディープな四国